ひととのー距離のはかーりかーたー

 

って難しいよねって思う。

仕事柄毎日お客さんと話すから初対面の人と接することに抵抗はない。接客業でも人見知りな人って割と多くて、仕事だと話せるけど仕事以外だと話せないってよく聞く。

私も小さい頃はド級の人見知りで、習い事に行きたくなくて速攻で辞めた記憶がある。親戚ですらなかなか慣れなかったなあ。あの頃は自分を良く見せたい願望が強くて、素直に自分を出せなかった。

いつの間にやら人見知りもなくなったけど、明確なきっかけがあったわけではなくて色んな人と接するうちに学んでこれたんだと思う。周りに素敵な人が多いってのも大きい。

初対面に関して言うと、まずは相手の話を聞く。知ったかぶりはしない。

私が知らず知らずしていたのはこの2点かも。今でいうなら「わー、君は〇〇なフレンズなんだね!」というスタンスでいる。過去の私なら自分が自分が!って話しちゃってたかもしれないけど、落ち着いて相手が何を求めてるのか、どんな人か聞くところから始めるのだ。知らないことを話されたら、素直にそれ知らないから教えてって言うと話が弾むことも割と大人になってわかった。無知を認めることは恥ずかしいものだと思ってたから。でも知ったかぶりのほうが恥ずかしいのよ。

 

なんというか往々にして考え過ぎてたんだろうなと思う。見栄をはっちゃったとかあの時ああ言えばよかったとか。思ってるほど人間って他人に対して関心なんてないからそんなに気にしなくて良いのにね~。ね。

 

 

 

つい最近Aちゃんに「Bさんと仲良いですよね、私はなんとなく壁を感じちゃうんですけど・・・。」って言われて。Bさんはフレンドリーなお人で、むしろAちゃんのことを笑顔がすてきでいい子だよねって言ってるくらいで。壁を作ってるのは人見知りするAちゃんでさ、壁なんてないんだよ~!って思わず背中をたたいてしまった。だって私とは仲良くなってくれたじゃん!って。壁を感じるということはこちら側に来たいってことなんじゃないかなあと密かにニヨニヨしているところなのです。ふふふ。

 

 

新しい出会いが増える季節が来たよ~。楽しみ。

あんまり気張らずいこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ばかのふりをする。

 

会社に気分屋な人がいて、ご機嫌がよろしくない時に当たると剣のある物言いをされるんだけど、私としてはその人はそういう人だとわかって接するからその場はとりあえず了承する。(同じ案件でも昨日無理だった件も今日はオッケーとかもザラにある。)

んで、○○さんがこう言ってたんですけど~、それで合ってますか~?と他の人にそれとなく聞く。あわよくば改めてもらう。

何も思わずやってたけど、それもばかのふりの一つらしい。歳の近い人が同じことをしてるらしく、そういうことなんだと言われた。自己防衛でもあり、円滑なコミュニケーションでもあるとかなんとか。そんなこといちいち考えて行動してないけども、理不尽な人に真っ向から挑んで疲れちゃうなんてナンセンスだから、知らず知らずやっていたのかもしれない。・・・なんかやーね。

 

そそ、「すえずえ」読了した。題名の通り、行く末を考えるストーリーで各話ごとに鼻をすすりながら読んでた。ずっと一緒にいたいけど、友達も家族もやっぱりいつかバイバイしなければいけない。「今、この瞬間、楽しい日々」はいつまでも続かないのだ。一太郎は短い人生を、仁吉や佐助たちは気が遠くなるような長い年月をどう歩いていくのか。仁吉が一太郎が生まれ変わるまで千年でも待つと決めたところがすき。

山童のお話はかなしいなあ。自分にはない幸せを他の人はもっていて、どうして自分には与えられないのか。奪えどもやっぱり自分のものにはならない。どうしてなんだろうね。

 

 

 

 

ねこになりた~い~

 

 

 

 

 

気が付けば3月。

自分のバタバタはひと段落したと思われるのでプライベートはゆっくりできるぞ~。

 

「あらくれ」は読了した。お島ちゃんが激しくて読んでて疲れちゃった。お島はひとりで生きていけるさ。

次は畠中恵の「すえずえ」。しゃばけシリーズ大好きでずーっと読み続けてる。

仲良くしてもらってるお姉さまもしゃばけ好きだということで、日常のなかで話題に出せるのがうれしい。

 

キャンドルが生活の一部になりつつある。今好きなのはWoodWickっていう芯が木でできてて火を灯すとパチパチというやつ。ロウのカラーリングも好き。今まで使ってたリネンが終わったからコンフォートに変えた。

体調が悪い時は香りが苦手になってしまうから、好きな時に香りを楽しめるアロマキャンドルルームフレグランスの代わりにしてる。夜だけじゃなくて朝メイクをしながらとか休日は1日中つけてたりもする。

 

去年モノトーンのお洋服にはまっていた反動で明るい色ばかり着るようになった。赤い下着を身に着けると元気になるというように肌は触れている色を感じることができるらしい。赤い服はなんとなく肌がきれいに見える気がするから好きだ。

去年の夏かなあ、たぶん中学生ぶりくらいにリュックを買った。みーんなに違和感ある!って言われたけどもう慣れたみたい。調子こいてこの前青いリュックも買った。今年の夏はボーダーに合わせるぞ。たのしみ。

 

悩める時期なのか、相談を受けることが増えた。一緒に考えてるうちに見えたのは、自分のなかの優先順位を見つけることが大切だということ。願うことが全部うまくいくことが一番いいと思うけど、そんなことってそうそうない。じゃあ何が一番大切か?っていうことと何を妥協してもいいかを自分の中から探り当てて、その一番優先したいことに辿り着くにはどうすればいいか逆算して考えれば今なにをすべきか見えるんじゃないかと。いやあ、生きるって難しい。

は~難しい~っていいながらも数日後公開のアサクリの映画が楽しみで仕方ない私はだめなやつだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメブロPieces of Mine)からお引越し。
昨年末あたりからちょっとばたばたとしていて、気分転換に場所を変えたくなったのだ。
 
合間合間で読書は欠かさず。司馬遼太郎の「義経」も読み終わって京極夏彦の「書楼弔堂 破曉」も終わり、今は徳田秋声の「あらくれ」。
 「義経」は最後があっけなさすぎてぽかーんとした。どんな人も最期はそんなもんかもしれない。戦上手だけど他人の機微に鈍感な彼はかわいらしくてでもひやりとすることも多々あって、これまでのきらびやかなイメージと違っていておもしろい。
今まで歴史に疎かったけれど(今も無知なことに変わりはない)、気を付けてみると破片は意外と其処此処に転がっていることがわかる。去年偶然行った手向山八幡宮源頼光の鬼退治の絵に出会った時は嬉しかったな。実家の近くの藤戸寺も源平に関係あるなあと離れてみて思う。知らないことを知るのは好きだ。
  弔堂はちょっと歯切れが悪いような気がしないでもない。好きだけど。
最後に京極堂シリーズ読者なら「わっ」と思う人物が登場してくれて、私は入浴中に読んでいて「わー」って声に出してしまったくらい。ふふふ。
  「あらくれ」に関しては某文豪ゲームから。プレイするまで秋声さんは存じ上げなくって、そこから興味をもった。文体に慣れなくてするするとは読み進められなくてちょっと時間がかかっているのが現実。がんばろ。
 

2月に入ってから天気がころころ変わって、それにつられて私の片頭痛もざらりざらりと出てきて寝込む日が増えている。季節は移ろうなぁなんて痛い頭を抱えながら考えるんだけど、寝ている時間はやっぱり惜しい。やることはたくさんあるんだよ!と。仕事中は顔に出さないようにしているんだけど、最近気づかれることが増えてしまった。反応が鈍いらしい。やだな~。

でもこの天気を超えれば春が来るよ。お花見が楽しみだ。